2012年11月19日

羊はいつ死んだのか






羊はいつ死んだのか
”KANAKO3先生”



飼い猫のKANAKO3(私は“先生”と読んでいる)が、先日
「ブログを書くように」
とおっしゃったので始めることにした。

私「先生、さっそく“死”についておたずねしたいのですが。映画『ショーシャンクの空に』でですね、刑務所長が自殺するときに最後に頭の中をかすめたのが銃弾と“アンディ・デュフレ-ンがどうやってこれをやりとげたか”という思念だったかと思いますが、あの飛び散った脳の破片はいつ自分が死んだことを自覚あるいは認識するわけなのですか」

先生「“死”は相対的なものである」

私「飛び散った脳の破片が激痛を感じたりするとけっこうこわいですが」

先生「“痛み”も相対的なものである」

私「去年、羊を屠畜したときに先生も同席されましたが、“羊の死”は正確にはいつと定義すればいいのでしょうか。
定義の候補としては
1. 羊の喉笛にナイフがざくっと入ったとき
2. 羊の意識が遠のいたとき
3. 羊が完全に動かなくなったとき
4. 羊の身体中の細胞が死んだとき
5. 私たちが屠られた羊の肉を食したとき
6. 私たちが羊の存在を思い出さなくなったとき
7. 羊を食した私たち全員が死んだとき
などが考えられると思うのですが」

先生「“時間”も相対的なものである」

私「ちょっと羊の死に際しての脳内の毛細血管の会話をシミュレーションしてみましたがどうでしょうか」

羊の脳内の毛細血管A「あれ??? なんだか血液送られてこないみたいな気がしない」
毛細血管B「うーん・・・そういわれてみればそんな感じもするなあ・・・あっちょっとめまいしてきちゃった」
毛細血管A「オレもめまいする」
毛細血管B「本部、やられたのかな」
毛細血管A「やられたんだろうな」
毛細血管B「だめ、ふらふら」
毛細血管A「オレもふらふ・・・」


先生「悪くはない」

私「ありがとうございました」


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 タグ: ショーシャンクの空に 毛細血管  猫  シミュレーション  時間








Posted by " at 06:02│Comments(2)
この記事へのコメント
かなこさん、
お元気ですか?
LAのえいこです。
ブログ早速拝見です。

私はここ2週間ほど
普段あまりみないテレビの
Showtimeというチャンネルで2007年~2010年に放映されていた
The Tudors という番組の再放送に嵌ってしまって首ずけです。
38シリーズあってやっと24話目をs昨夜見終わって
今朝会社とわかっていながら夜中1時半に床へ。
脚本は実際の歴史に
興味をそそる色付けをされてるいるでしょうね。
でも
実際はもっと残虐な過去だったのではないかと思います。
ヘンリー8世の理不尽な命令、
あるいは
神の名のもとで神への忠誠を誓い遂げるために
多くのものが死んでいく。
死ぬ前の言葉がみなともに
” Beg for God’s mercy ” 
それが自分への懇願の場合でもあれば
死へ追いやった者への
許しの宣告であり
神への忠誠の証し。
話の中では
"Conscious "
という言葉頻繁に使われます。
信じるということの芯のようです。
希望という光が人間の精神を強くするのであれば
その希望(神のもとへいく)を信じるから
”死”とうものがPeaceへの玄関となるのでしょうか。

”死”
は幼少の頃から
私にとっては謎の課題でした。

私の父は25年前に他界しており、
母は4年前に脳溢血で倒れて以来、
ずーっと区経営の貧相な老人ホームです。

父の最期の一年は植物人間でした。
すでにUSに移住していた私の耳元で
ある夜父の私の名を呼ぶ声がして、
虫の知らせとでもいうのでしょうか、
私が日本へ帰国した翌日に息を引き取ったのです。
それで
母もきっと私が会いに来てからあの世にいきたいのだろうと思い
3年前に日本へ帰国したのですが
寝返りも一人でできず、かゆいところに手を伸ばすこともできず、
もう口から出る言葉も失って
ホームで屍のように生きています。
毎日のように
母へ”安らかな時”がくるよう心痛の思いです。
かなこさんの母上の他界をお聞きしたときは
思わず泣いてしまって、なにも言葉が出てきませんでした。
かなこさんの人生の様子を伺っていると全く自分のものとは違うのだけれども鏡に写して自分を見ているような心境になるのです。
遺言書を書いてそれをどこにあるか
Facebookにお知らせしたり、
このブログの羊の死のお話、
とても気持ちよく魂に入ってきてようくわかるのです。
天使のお話は
会社だけど
声を出して笑ってしまいました。

ちなみに
私も天使というものに魅入っており
天使とはなんぞやの
本を買ったり、お尻丸出しの天使小僧のお人形を手にいれたり。
本物の生のオペラが観たくて
10年目にローマへ行ったときにみた
ミケランジェロの天使にはめまいがしそうでした。

だからかなこさんが天使の絵をアップすると
すかさず飛び込んじゃいますっ。笑

それではまた。

Eiko
Posted by 倉島英子 at 2012年12月06日 04:56
コメント、今読みました。
うれしかったです。
生は死に、一瞬のうちにして翻る、私たちは剣の歯の上を歩いているようなものだと思います。
Posted by 佐藤花那子佐藤花那子 at 2013年01月20日 04:17
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    コメント(2)